ハリウッドは学校だった

録画してあった渡辺謙さんのドキュメンタリー「役者道」をようやく見ました。率直なお言葉で語られる一流の俳優/人間としての生きかたに感動しました。国際的な活躍をされている渡辺さんならではのお話の中に「ハリウッドの映画宣伝のスタイルは日本と大きく違う」という内容の一節がありました。


「映画をどう紹介するか、あらかじめしっかり決められていて、それに沿った取材をしてもらう。メディア側もそのような姿勢で突っ込んだ質問をする。日本のメディアの取材だと”ロケ先のあそこでは何か美味しいもの食べましたか?”とか”撮影中の面白いエピソードは何かありませんか?”なんて質問が出るが、ハリウッドの取材ではそのような質問はほとんどあり得ない」


わたしは1992年にフリーの通訳/翻訳家となってから、おもに映画や音楽の仕事ばかりしていました。通訳としては特にハリウッドからプロモーション来日されたプロデューサーや監督さんの取材時の仕事が多かったです。逐語通訳は同時通訳より楽ではないかと思われるかもしれませんが、集中力マックスの状態で、語られる内容のストーリーラインを必死でメモし把握し、英語から日本語へ澱みなく変換していく。この作業は肉体的にもかなり大変なんです。日本語から英語はまだいい。取材する側の質問はたいてい短いからです。

「日本の食べ物では何が好きですか?」

「日本で訪れてみたいところは特にありますか?」

などなど。


一方、プロデューサーや監督がお話するときは作品の本質にどんどん切り込んでいく。だから長く、複雑な話になります。そういう突っ込んだ質問は例外なく歓迎されました。テーマを鋭く突く質問になると彼らの瞳は輝き、「良い質問だね」と言って丁寧に細かく説明されます。そういうお話はとても大切なことだから、一語だってはしょってはならない。そう思って頑張りました。


無我夢中だったから意識していなかったけれど、映画という総合芸術の本質的な部分をそうやって全身で吸収させてもらっていたんだと思います。知らず知らずのうちに、うがった言いかたすれば、渡辺謙さんが経験されたハリウッドに近いレベルで文化的学習をさせてもらっていたんです。


だから、わたしにとってハリウッドとは学校でした。知らないうちに、上質な文化を全身で吸収させてもらっていました。そんな学習ができる場は、ほかにはありません。本や動画ではできないことです。


ハリウッドっていうと、ただの映画産業がある町と片付けられたり、汚くて非情なやりかたが横行する業界の代名詞とされたりしがち。でもメジャー・スタジオ(大手映画製作会社)が伝統的に築き上げたシステムというか、確固たる価値基準というか、それらを支えるとんでもない才人集団を思うとき、畏敬の念を抱かずにはいられません。実際、何度か行って、ひとつの町を形成するスタジオにも入ったことがあります。ハリウッドにある映画会社の日本支社に勤務することからはじまったキャリアですから。(ちなみに、渡辺謙さんと間近でお会いしたこともあります。何かの授賞式のパーティだったかな)


田舎でぼおっと暮らしていますけど、長い歳月かけて吸収したものは確かにわたしの中にあり、それを忘れたり捨てたりしてはならないと思っています。その点については、死ぬまで妥協しません。

上の写真は京都「御倉屋」さんの包装紙。京都の古地図で、眺めていると興味が尽きません。下は青山の国連大学本部。大学生だったその昔、ここは都バスの駐車場になっていました。

玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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