金曜の夜、雨の東名高速をひた走って富士山の麓の実家に帰りました。月に一度、必ず実家には帰るようにしています。わずかな時間で何ができるというわけではないけれど、ここ数年、両親と過ごす時間がとても貴重に思えるようになりました。身障者になっても懸命に家事をこなしている母を見ていると、何か重要なしなくてはならないことを放棄しているような重い自責の念にさいなまれます。でも、亡くなった祖母が施設に入るときにも出ていた「家族を犠牲にしない」という想いを貫き、母は「動かないと全く動くことができない体になるから」と言って毎日台所に立っています。台所というのは「勝手」と呼ぶくらいで、自分の勝手にならない台所は実家であっても「人の勝手」であり、率先して食事の支度をしようにもなかなか思うようにはいきません。実家の台所に立つたび、「ここは母の勝手なのだ」と痛感します。母がいつまで台所に立つことができるのかはわかりません。でも、やはり台所は「女の城」であり、そこに君臨しようという気概があるのなら、頑張りつづけてもらうほうがいいのかなと思ったりもします。自由に自分らしく生きさせてもらってますが、逆に両親を犠牲にしているのではないか、辛い気持ちになることもあるのですが。
そんなわけで、いろいろ複雑な想いを抱いて実家に帰るわけです。
土曜日、母に案内されて郊外の「わさび田」を見に行きました。
そんなわけで、いろいろ複雑な想いを抱いて実家に帰るわけです。
土曜日、母に案内されて郊外の「わさび田」を見に行きました。
冷たそうな、きれいな水が注いでいました。
わさび田を見たあと、母の好きな金山寺味噌を買いました。父が同行していなかったら母ともっとゆっくりわさび田を眺めながらいろいろな話ができたのでしょうが、オヤジ族というのは、どうもこういうところに来ても別段何も感じないようです。
これからも実家に通いつづけます。頑固オヤジの父にも身障者の母にも、今ぐらいの元気さで細く長く生きていてもらいたいものです。
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