忍者の里

伊賀鉄道を下車したのは、上野市駅。ここから上野城を目指したのですが。

結論から言うと、わたしは駅をおりてから方向を誤り、ひとつ手前の駅、広小路駅に戻るくらい違う方向に歩いてしまったのでした。でも、そのおかげで銀座という、その名のとおり、ちょっとあか抜けた広い道の商店街で見つけた手作りパン屋さん「麦の穂」でおいしいイタリアンのランチにありつけたし、上品な時計屋さんで腕時計の電池を入れ直してもらい、そのお店のご夫婦とのおしゃべりも楽しんだりできました。


銀行のATMさえ雰囲気たっぷり♪


さて、この上野城は昭和に再建されたものです。
でも、故黒澤明監督が「影武者」の撮影に使ったと聞いていたので興味津々でした。見た目はたしかに美しかった。石垣は戦国時代そのままのものだそうです。





敵ならずとも、リアルにひるみそうな急な石段が、城への侵入をはばもうとしていたのであった。
しかし……。


この石段で、なんとリードをつけられてご主人(♂)と散歩する猫ちゃんと遭遇!

甲賀とならび、伊賀が忍者の里として知られるようになったのには長い歴史があるそうですけれども、本能寺の変の折、堺で遊んでいた徳川家康がひそかに東の三河へと脱出するのを援護したのが伊賀忍者の方々なのだそうで、その功労を買われて以来、徳川幕府に重用されるようになったというのは、今回の旅で初めて知りました。なんて言ったかなあ。あ、そうそう「神君伊賀越え」というそうな。

その後、伊賀忍者の中でも服部家の通称「半蔵」が家康のために大活躍したことから、江戸城のすぐ隣にお屋敷をかまえるほどになった。今の半蔵門があるあたりですな。

そうした歴史を感じさせる伊賀の町の落ち着いたたたずまい。
すごく気に入りました。




こういう生活感が残る古さが好きです。さりげない銭湯の看板とか。きっと日暮れどきにこういうところを歩くと、そこはかとなく夕餉の支度の香りが漂ってきて、わけもなく感傷的になったりするんだろうな。

それはともかく。
上野城の近くで、多数の忍者と遭遇しました。さすがに忍者の里。


この忍者は「ママ〜!」と叫びつつ追い越していきおった。


忍者もからあげには弱いようでござる。


修行中。足腰を鍛錬しておるらしい。


いかなる理由か、母御にダダをこねておった。こやつは修行が足りん。

極めつけ。

「忍者マスター」とお見受けした。

伊賀の売りは忍者だけでなく、芭蕉生誕の地としても有名なのだそうです。
本当に無知だったわたしは、それもこの旅で初めて知ったのでした。

上記の銀座で出会った時計屋さんの奥さんに勧められ、足をのばして「蓑虫庵」を訪れました。

いきなり渡された蚊取り線香。


これがマストアイテムだというのもうなずけるヤブ蚊の多さ。
そういうところなのです。薮と木陰と苔むした石の庭。蓑虫庵はそうしたところでした。


芭蕉堂。



伊賀というのは盆地なので、冬の冷え込みが厳しいそうです。
温暖な三重という土地柄に似合わず、厳しい鍛錬を旨とした忍者文化が育ったのは、そのような気候の厳しさが一因していたように感じました。
郊外を走る関西本線を使えば、奈良まですぐに出てしまえるそうで、今やベッドタウンとして進化しつつあるとか。天守閣からの写真をアップしないのは、そういう町の姿を見てしまったからです。昔の武将も見たに違いない風景を求めて天守閣にあがったのだけれど、そこから見えたのは○×電器とか、○×バリューとか、よくあるチェーンの量販店の建物の数々。松阪でも思ったけど、ほんと、観光客って勝手なものです。町の発展は住民の権利なのだから、よそ者がとやかく言う筋合いのものではありません。
でも、もうちょっと上手な発展の仕方を考えてもいいんじゃないかな。


小学校の建物。これは心底ステキだと思いました。





伊賀。また訪れてみたい町です。




玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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