銀行のATMさえ雰囲気たっぷり♪
敵ならずとも、リアルにひるみそうな急な石段が、城への侵入をはばもうとしていたのであった。
しかし……。
この石段で、なんとリードをつけられてご主人(♂)と散歩する猫ちゃんと遭遇!
甲賀とならび、伊賀が忍者の里として知られるようになったのには長い歴史があるそうですけれども、本能寺の変の折、堺で遊んでいた徳川家康がひそかに東の三河へと脱出するのを援護したのが伊賀忍者の方々なのだそうで、その功労を買われて以来、徳川幕府に重用されるようになったというのは、今回の旅で初めて知りました。なんて言ったかなあ。あ、そうそう「神君伊賀越え」というそうな。
その後、伊賀忍者の中でも服部家の通称「半蔵」が家康のために大活躍したことから、江戸城のすぐ隣にお屋敷をかまえるほどになった。今の半蔵門があるあたりですな。
そうした歴史を感じさせる伊賀の町の落ち着いたたたずまい。
すごく気に入りました。
こういう生活感が残る古さが好きです。さりげない銭湯の看板とか。きっと日暮れどきにこういうところを歩くと、そこはかとなく夕餉の支度の香りが漂ってきて、わけもなく感傷的になったりするんだろうな。
それはともかく。
上野城の近くで、多数の忍者と遭遇しました。さすがに忍者の里。
この忍者は「ママ〜!」と叫びつつ追い越していきおった。
忍者もからあげには弱いようでござる。
修行中。足腰を鍛錬しておるらしい。
いかなる理由か、母御にダダをこねておった。こやつは修行が足りん。
極めつけ。
これがマストアイテムだというのもうなずけるヤブ蚊の多さ。
そういうところなのです。薮と木陰と苔むした石の庭。蓑虫庵はそうしたところでした。
芭蕉堂。
伊賀というのは盆地なので、冬の冷え込みが厳しいそうです。
温暖な三重という土地柄に似合わず、厳しい鍛錬を旨とした忍者文化が育ったのは、そのような気候の厳しさが一因していたように感じました。
郊外を走る関西本線を使えば、奈良まですぐに出てしまえるそうで、今やベッドタウンとして進化しつつあるとか。天守閣からの写真をアップしないのは、そういう町の姿を見てしまったからです。昔の武将も見たに違いない風景を求めて天守閣にあがったのだけれど、そこから見えたのは○×電器とか、○×バリューとか、よくあるチェーンの量販店の建物の数々。松阪でも思ったけど、ほんと、観光客って勝手なものです。町の発展は住民の権利なのだから、よそ者がとやかく言う筋合いのものではありません。
でも、もうちょっと上手な発展の仕方を考えてもいいんじゃないかな。
小学校の建物。これは心底ステキだと思いました。
伊賀。また訪れてみたい町です。
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