東京での暮らしを想う








古いブログで空の眺めについて書いたことがあります。このころはまだ東京都民でした。東京の住まいを引き払って御殿場に移り住むことになろうとは、夢にも思っていませんでした。
http://rayco.petit.cc/banana/categories/78324/?page=1

わたしは富士山の麓に生まれて育ったとはいえ、その倍以上の歳月を東京で過ごしました。今ようやく故郷に戻ったわけですが、実を言うと、東京で御殿場を想っていたのと同じように、今は東京で最後に暮らしていたところがとても懐かしいです。あそこを去って1年。

空や雲や遠くの山などを観察する面白さに目覚めたのが、東京の板橋区にあった25階の住まいです。
東京でマンションを買うことにしたとき、窓を開けて開放感を覚えることがどれほど贅沢かを思い知りました。便利な場所には人が集まる。家やビルが建て込む。当たり前です。フリーの翻訳家として家は仕事場でもあり、原稿を抱えているときには一歩も外に出ないこともあるので、窓の外に開放感を覚える眺めがないことには耐えられませんでした。それまで住んでいた練馬区の団地が公園の隣にあり、恵まれた環境に慣れ過ぎていました。

もう水平方向に広がりを求めることが無理なのであれば、上に逃げるしかない。都会の利便性と開放感を同時に得るなら、高層マンションしかないのです。それは正解でした。御殿場でもこれほど雄大なパノラマを堪能できる住まいなどありません。わたしは日々、空を眺め、富士山を眺め、息を呑むほど美しい夕焼けショーを堪能しました。

丹沢の山並みに連なる秩父連山、その向こうに宝永火口の下まで見える富士山の眺め。
ゆるやかに蛇行する荒川と新河岸川。沈んでゆく夕日の照り返しで輝く荒川と、その中を進むボートの影。ほんとうに飽きることがありませんでした。

思えば、あの住まいを選んだ時点で、わたしの「都会離れ」はすでにはじまっていたのです。
「川の土手道を犬と一緒に歩く」という、テレビのコマーシャルなどの定番になっている「幸福の象徴」も実行できたし、23区内にありながら四季の花々を楽しむ公園もあって、自然の豊かなところでした。それなのに池袋にも新宿にも、あるいは上野や銀座方面にもすぐに出ることができました。東京での生活をエンジョイするなら、あれ以上の場所はなかったかもしれません。
だけど、すでに池袋にも新宿にも銀座にも、出て行くのがたまらなくイヤになっていました。
仕事や用事で行かなくてはならないと、すごく憂鬱でした。雑踏とか人いきれとか、街路の汚れとか、すごくイヤでした。
わたしの中では、ジワジワと「東京時代」が終わりに向かっていたんだと思います。

だから御殿場に移ったことは自然の成り行きだったのですが。
空いっぱいに広がったスケールの大きな「芸術作品」をひとり占めしていた日々は、ほんとうに懐かしい。
大自然をしのぐアーティストはいないことを知った東京での暮らしに、感謝です。



玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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