小さな願い






バート・バカラックとハル・デヴィッドの黄金コンビによる「小さな願い」(I Say a Little Prayer)という曲があります。
http://www.youtube.com/watch?v=kafVkPxjLYg

ディオンヌ・ワーウィックが歌って大ヒットしました。
わたしは小学校3年生ぐらいのころにテレビでこの曲を知りました。実は、それがいわゆるポップスとの初めての出会いでした。それ以降、いわゆる歌謡曲やフォークにはまったく惹かれることなく、好きになったのは外国の曲ばかりとなりました。それが長じてジャズやブラジル音楽への傾倒になり、学生時代に「ひとりジャズ研」と称していろいろ探求することになり(それはもう、いろいろやりました)、やがてはミュージシャンの通訳を務めるに至ったので、わたしの原点となった曲といっても過言ではありません。

小学生のころ、わたしの一家は茅葺き屋根の母屋の脇の納屋を改造したところに住んでいました。忘れもしないある土曜の午後。オープンリールのテープレコーダーでいろんな音を録音する遊びに興じていたときに、たまたまテレビの音楽番組を録音しました。もちろん、マイクをテレビに向けて録るという、超アナログな方法で。そのとき録音したのが「小さな願い」だったんです。

わたしはマイクを握りしめながら、その軽やかなリズムと少し哀愁を帯びつつも明るい感じで推移するメロディの虜になり、食い入るように歌手の映像を見つめました。あれはたぶん、アレサ・フランクリンだったと思います。ディオンヌよりも体格の良い感じの女性だったからです。土曜の午後にあっさりアレサ・フランクリンが歌っていたというのも、思えばシュールなことですが。
きれいに録音できるわけもなく、周囲の雑音、特に祖父が勝手口をガラッと開ける音まで入っていました。それでも飽きることなく、何回も何回もとりつかれたように「小さな願い」を聴きつづけました。

子どもの頃は理屈抜きでただ好きだっただけなのですが、バート・バカラックはクラシックの基礎をきちんと学び、ジャズやボサノヴァを上手にとりいれた作曲や編曲をしていて、非常に洗練された曲作りをしています。時代を経ても魅力が色あせず、いろいろな人たちにカヴァーされつづけているというのは、凝った和声やリズムをさりげなく使っているからだと思います。初めての出会いがこんな質の高いポップスだったことは幸いでした。知らず知らずのうちに、良質なものを聞き分ける耳を養うスタートを得られたからです。

2008年にスティーヴ・タイレルという歌手の通訳をしました。彼はバート・バカラックの秘蔵っ子的なシンガーで、ある意味、代表的な「健全なアメリカン・ポップス」の継承者だと思います。シナトラやディーン・マーティンのように、ラスベガスみたいなところの華やかなショーが似合う人です。
来日したとき「バカラックへの想い」という、バカラックの曲ばかりを集めたアルバムをリリースした直後でした。インタビューの合間に、わたしは彼に「小さな願い」の思い出を話しました。あの録音を繰り返し聴き過ぎたせいで、曲のあるところに来ると、条件反射的に祖父が勝手口をガラッと開ける音を期待してしまうようになっていました。スティーヴは明るくて良い人で、そんなエピソードに声を上げて笑ってくれました。
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A021671.html

6月4日のブルーノート東京のショーに招待されて行ったとき、ステージからスティーヴが「次の曲を玲子にプレゼントする」と言ってくれて、とても驚きました。「小さな願い」でした。
彼の粋で優しい計らいに、聴きながら涙が溢れ、終わってからもしばらくは止まりませんでした。
以来ずっと、わたしはスティーヴ・タイレルの大ファンです。




玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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