桜の季節


東京の住まいの真向かいにあった公園



近づくと控えめな良い香りがするのも魅力



初孫の誕生を記念して母が植えたソメイヨシノもこんなに立派に



また桜の季節がめぐってきました。今年はいつもよりずっと早く開花しましたが、そのあと「花冷え」「菜種梅雨」と、俳句の季語そのままのような春ならではの不安定な天候がつづいています。開花したあと気温が下がったので花の季節が長く楽しめる、と前向きにとらえることにしています。

桜の季節になるたびに思い出すのは、2011年の春です。3月11日の震災のあと、ずっと計画停電だのスーパーの品不足だの、文字通り暗い日々でした。暗い上に寒かった!3月はまだ春も浅くて寒さが堪えるのですが、心情的に堂々と暖房を使う気持ちになれませんでした。東北で被災した人々は避難所の体育館で寒さに震えながら耐え忍び、実家の両親は計画停電で暖をとることができないまま暗い夜を過ごし、ベランダから見える川向こうの埼玉県朝霞市あたり(板橋区は計画停電から除外されたエリアでした)は異様な真っ黒い闇に包まれ、そんな中では自分だけ自由にエネルギーを使っていいとは思えなくなっていました。結局、あのシーズンは3月11日以降、自宅で暖房を使うことはありませんでした。

原子力発電なんてことを考える時代ではないことぐらい、もちろんわかっています。でも、外国から買う石油をガンガン燃やして電気作ってていいのか、という大きな疑問はずっと解消されません。あの震災後「原子力にノーと言おう」と声高に叫ぶ人々が急増しました。そこにすんなり賛同できないのは、「じゃ、どうするのか?」が見えないからです。

あの年は節電の意識が広まり、ベランダから見えるパチンコ店も派手な電飾を控えてましたし、どのお店も暗かった。あれから4年、いろいろ明るいのは良いことですけど、こんなふうに湯水のように電気使ってて大丈夫なのでしょうか。何をするにも電気を使うじゃないですか。そもそもコンピュータ使ってこういう文章書くにしても電気を使う。お腹すいたからと手を伸ばすパンだって、たくさんの電気を使った挙げ句に出来上がっているし、お米だって精米から流通まで電気がなければ私たちの手には届きません。

震災があった春、桜が咲き始めたときの嬉しさは忘れられません。毎日ガクガク震えて暮らしていたので、日だまりのあったかさが体にありがたくて、そのありがたさの象徴のように、優しく華やかに花開いた桜が本当に涙が出るほと嬉しかったです。開花しはじめるとその勢いは止まることなく、一気に満開になります。ギュッと堅く気持ちを締め付けて頑張ってきて、それをふうっと緩ませてくれる。満開の桜はそんな優しさに満ちていました。

今年もきれいに咲いてくれて、ありがとう。
ただのきれいな花じゃなくて、いろいろ感じさせてくれてありがとう。
桜はそんな花なんですね。




玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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