Me, too. がらみの経験その1


京都ではありませんが、季節がら



これも京都ではありませんが、やっぱり季節がら



世間は元福田次官の「セクハラ問題」で持ちきりで、内容的にはそれよりはるかに重い「法に触れる行為」を自ら認めて辞任した新潟県知事のニュースが霞む、というおかしなことになっています。

しかし、昭和生まれで大学出てからずっと社会の荒波をなんとか泳いできたオバさんからすると、セクハラの話題には「今さら」感が強烈にあります。就職試験の段階からフリーランスで食べるようになるまで、セクハラが絡まなかったことなど無いくらい。T急観光の面接なんて「ひとり暮らしなんでしょ?結構、遊んだんじゃないの?」という信じられない質問に絶句しました。某映画会社時代には、具合が良くないので早退したいと申し出ると「月イチのアレじゃないの?そんなので帰っちゃうの?」そんなイヤミは日常茶飯事。

財務省がまだ「大蔵省」と呼ばれていた時代に、あの建物の一番上の階の北西側の一室に週2回通っていました。当時の私は、英会話の講師でした。まだ私も二十代の頃のことです。大蔵省の職員のためのレッスンを担当していたのです。

みなさん、とても優秀でした。ほとんど東大卒ですから。でも残念ながら、英語の文書はスラスラと読むのに、会話と自分の意見を英語で表現する発信力が欠けている、という典型的な昭和の教育の「被害者」でした。

そのクラスに、ある局長がおいででした。こうした省庁の局長という立場はちょっとした企業の社長ぐらいのレベル(何の?)だということで、私が他の職員さんと同等に彼にも割と厳し目のレッスン(限られた時間で効果を期待されたら厳しくなります)をつけると、周囲の職員たちから「おおお!」と低い驚きの声が漏れたものです。あほらし。局長だろうと大臣だろうと、できなかったらできるまで繰り返すのだ。スポーツも外国語の習得もおんなじ。

その局長さんからいたく気に入られた私は、ある日「近々、仕事が終わったらお食事でも」と誘われました。いわゆるタイコ持ち的な部下がふたり(彼らもレッスン生でした)一緒ということでしたので、ありがたくお誘いを受けました。食事はパレス・ホテル。そのあと「カラオケでも」ということになり、連れて行かれたのが、銀座のとあるクラブ。と言っても個室です。フカフカの赤い絨毯、シャンデリア、革張りのソファ。飲み物を頼んで、曲のリストが並んだ本みたいなのを開いて歌いたい曲を選ぶ、というところまでは普通のカラオケなのですが、おっさんが「じゃあ、ぼく昴」とか言うと、飲み物のサーブもしてくれる黒服のおにいさんが「かしこまりました」と言って機械を操作し、あっという間に昴のイントロが始まり、おっさんは金色のマイクを握る、という段取り。どんな曲が選択されても、すかさず「かしこまりました」があって、素晴らしいスピードで操作されてステージが用意される。で、そのうち着物のおねえさんも来て、当然局長の隣に陣取り「ああら、お上手♩」とか言うわけです。帰ろうということになった時、タイコ持ちのひとりからそっとタクシー券を渡されました。

その後はそういうことも無いまま、私は英会話の先生稼業から足を洗い、ある映画会社(上記とは別の)に入社しました。大蔵省の英会話クラスで送別会のようなことをしてもらいましたが、そのとき例の局長に入社する会社の話をしたことさえあまり記憶していなかったのですが、携帯電話もなかった当時、会社にその局長から私宛の電話がありました。京都まで来ないか、素晴らしい人と会うので、紹介したい。得難い機会になるだろう。固辞しましたが、すでに新幹線の往復チケットも宿泊先も手配してしまったのでぜひと言われ、仕事が休みの土曜の話だったので、まあいいか、と軽い気持ちで承諾してしまいました。次の日、早くも大蔵省の封筒に入った新幹線のチケットが会社宛に郵送されてきました。

宿泊先は京都駅にほど近い相当ランクが高いホテルで、仕事で関西に出張中だったという局長とはロビーで落ち合いました。タクシーに乗せられ、到着したのは「大市」。有名なすっぽん料理の老舗です。古めかしい町屋の風情や幕末の志士から昭和の文豪まで常連だったという歴史のうんちくにいちいち大げさに感心して見せ(そういう芝居は得意なので)、奥まった座敷に通されました。そこには某有名文具メーカーの社長とそのお嬢さんが先に到着していて、いかにも昔からのおつきあいらしく、局長と社長との間に和やかな会話のキャッチボールが展開していきました。私とお嬢さんはごく時おり合いの手を入れる程度でした。私は評判のすっぽん料理に集中し、その美味・滋養を堪能しました。それがこの異常な状況における自分のミッションだと信じることにしました。社長令嬢はいかにも「いいとこのいとはん」な感じで、短大卒業後には関西の某有名化学工業の会社に入社が決まったということでお祝いの乾杯もしました。

すっぽん鍋のふつふつと煮え立つ黄金のスープは本当に美しく、こんな美しいものを体に入れるということが健康・長寿につながるのも無理ない。なんてことを考えつつ、ほとんど呆然としたまま、私は「大市」の奥の座敷で関西の財界の内幕話のようなものにじっと耳を傾けていました。やがてタクシーが2台呼ばれ、先の1台にまず「いとはん」が乗り、パパの社長があとから乗り込もうとしたとき、鞄から箱入りの何かを局長に手渡すのがが見えました。まあ、楽しんでくれたまえ。そう言って笑い、社長は帰って行きました。

ホテルに着き、エレベータに乗る前に局長には丁重に御礼を言いました。
「いや、新幹線のチケットはね、岡山で講演をしてちょっと臨時収入があったので、どってことないんだ。それより・・・。せっかく京都まで来たのだし、まだ夜も早いし。これね、◯◯社長にいただいたんだけど、とても良いブランデーなんだよ。僕の部屋で一杯どう?」

来た。
そういうことか。でも、そうだよね。そういう目的だったに決まってる。
ご馳走食べさせてもらえるだけと信じて、のこのこ出てきた女がバカなのだ。
わざわざ京都まで呼び出して、ホテルまで予約して、◯◯さん親子までダシに使ったのだ。
(まあ、すっぽんはもともと良いダシに使われて本望なのだろうけど)
それだけのはずがない。

極めてやんわりと、しかし断固と、お断りしました。
この局長が本当に仕事の現場では尊敬されてる人なのかもと思ったところは、ここでそれ以上、無理強いしなかったところです。

「そうですか。では、せめて明日の朝食ぐらいはご一緒していただけませんか?」

次の日の朝、局長とホテルっぽい朝食をいただき、何と言い訳したかは忘れましたが、局長よりも遅く出発するひかり号(当時はのぞみなんてなかった)で東京に戻りました。

私は局長に何かを要求し、彼からその見返りに京都に招かれたというわけではありません。
ただひたすら若気の至りで、京都行きを承諾したのが愚かだったのです。でも。
若い女をそういう状況に追い込むこと自体、そもそもハラスメントだったと思います。


玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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