ここから悲劇が始まりました
鐘楼に登った人しか見ることのできないドゥオーモ近景
ドゥオーモの内部。あの丸い天窓のとこまで登ったのだ
今秋のイタリア旅行最大の災難。
それはフィレンツェから帰国する土曜の前日、金曜の夜のことでした。
良いことづくめで上機嫌だったヴェローナからフィレンツェへ戻る列車に乗車した瞬間、すでに悪い予感がしていました。なぜなら、予約した席が学校の団体旅行らしき13歳ぐらいのガキ(もう敢えてそう呼ぶ)の群のまっただ中だったからです。ガキどもはエンドレスでわめき続け、駆け回り続けっぱなしで、道中ずっと耳が痛くなるようなイタリア語の阿鼻叫喚。隔てた反対側に私と同世代の中年夫婦が静かに読書などなされていたので、「ここは我慢しなくてはいけないな」と懸命に耐えようとしたのですが。
列車は中間地点のボローニャに停車し、そのまま動こうとしません。後日「イタリア名物ストライキ」とわかりましたが、車内アナウンスも「発車はいつになるかわかりません」と絶望的な情報しか流さないというお粗末な対応ぶり。ストレスが溜まったガキどもの傍若無人ぶりに拍車がかかりました。
前の席の女の子がスプレー缶式の生クリームをプシュー。こっちに白いしぶきが。そんなもん、今開けなくてもいいじゃないのよ!お菓子を投げ合うので、カケラみたいなものが舞う。やめんか。挙句の果てに、私の左後方に向かってお水のペットボトルを投げたガキのせいで、緩んだキャップから飛び散った水がビシャッ!!
さすがにキレて叫びました。通路の反対側の紳士のセーターもちょっと濡れ、読書していた奥様が振り返り、ボトルを投げたガキを叱責しました。
「こちらのセニョーラだって濡れちゃったじゃないの!あやまんなさい!」
イタリア語だったのにそうとわかったのは、senora とか、bagnato などが聞き取れたからです。「あやまんなさい!」的なことをおっしゃったとわかったのは、ガキが 「I am sorry」と英語で私に言ったからです。でも、あんまり悪いと思ってないっぽかった。これは何の試練なんだ!?
1時間以上停車したあと、列車はノロノロと動きだしました。ガキども一斉に拍手。
私はフィレンツェ・カンポ・ディ・マルテという駅で乗り換えて、ホテルまで徒歩で行けるフィレンツェ・サンタマリア・ノッヴェーラという駅までのチケットを持っていました。しかし、やっとのことでたどり着いたこのフィレンツェ・カンポ・ディ・マルテで致命的なミスを犯しました。騒ぎ続けるガキどものせいで車内アナウンスを聞き逃し、イタリア語のアナウンスが「8番線がどうとか言ってた」程度にしかわかんなかったくせに、8番線の列車に乗ってしまったのです。ただし、乗り込む前に駅員に「この電車はフィレンツェ行きですか?」と英語で尋ねて「Yes」って返事もらってたのですが。まあ、英語で尋ねられてもね。もうすでにフィレンツェなのに、なんでそんなこと聞くんだろ。Yesって答とこ。みたいな感じでしょうか。カンポ・ディなんとかとか、サンタマリア・ノッヴェーラとか、外国人にはとっさに発音できないのですよ。そもそもカンポ・ディ・マルテがそんなに近いなんて知らなかったもん。アホな旅行者だな。
乗り換えた列車は素晴らしく美しくて、きちんとしてて、その時点でおかしいと気づくべきでしたが、ガキどもから逃れて安堵し過ぎてました。列車出発。美人の車掌さん登場。
「あの、これ、フィレンツェ通るんですよね?」
「え~~~~!!??何言っちゃってるの!これ、ノンストップのローマ行き特急よ!」
気絶しそうでした。
すでに予定から2時間以上遅れ、夜の9時だというのに。
ローマ。
・・・・ローマ行くんですね、わたし。
「すみません!どなたか、英語がわかる方はいますか!?」と叫びました。映画みたいに。例の「お医者さんはいませんか!?」の場面です。自分の勇気が信じられませんでした。すぐに「ぼく、できるよ!」と言って手を挙げてくださった男性がいました。4人で仲良く向かい合った席に陣取り、ローマのマイホーム(勝手な想像)に向かうゴキゲンな出張帰りとお見受けしました。
「間違ってこの列車に乗ってしまったんですが、今夜中にフィレンツェに戻らないといけないんです。明日、フィレンツェの空港から帰国するので」
必死に説明し、フィレンツェのホテルに「チェックインが遅くなるが必ず行く」と電話していただきました。私の携帯はWiFiがないと使えなかったからです。その紳士はとても親切にしてくださり、同席していたご友人の方々も口々に「大丈夫だよ。心配してはいけない」と励ましてくれました。ありがたかった!涙出そうでした。
ローマに到着したのが10時ぐらい。ヴェローナを出発してから4時間が経過してました。ヘトヘト。
トイレに行けないから水分も摂ってない。脱水状態の飢餓状態。10時25分発、ローマのテルミニ駅からの列車は来たときとは打って変わって夜行列車的コンパートメント・スタイルのクラシックなやつ。汚れててうらぶれてて、日本で言うなら「昭和の香り」。
「予約はないけど乗車したい」と訴えたのに、中年男性車掌は「満席だ。席はない」と調べもせずに無愛想に言い放ちました。「2号車へ行ってみな」って感じで言われたので、通路に立つ覚悟で2号車まで走りました。発車時刻まであまりなかったからです。
2号車によじ登り(ホームと列車がフラットになってる駅は日本にしかないと思います)、コンパートメントの列の端の通路にスーツケースを置いて、窓に寄りかかりました。この状態で何時間耐えなくてはならないんだろう・・・。窓の外には闇が広がるだけで、何も見えませんでした。川を渡ったな。有名なテベレ川だったのかな。そうかもしれないけど、どうでもいいよ、もう。
しばらくして、白人男性が手前のコンパートメントへと手招きしてくれました。話しかけてきた英語からして、すぐにアメリカ人とわかりました。
「こっちに席があるよ」
満席じゃないじゃん!いくつも空いてるじゃん!男性は奥さんと一緒で、私たちは向かい合わせに座り、自己紹介しました。ふたりはブランドンとローレン、オクラホマの出身で、ナポリ、フィレンツェと旅して、今日は日帰りでローマまで遊びに行った帰りとのことでした。いくつも途中駅に停まりながら進む列車は遅くて、永遠にフィレンツェまで着かないのではとさえ思われました。到着予定時刻は午前1時半ごろ。ヴェローナを出たのが夕方の6時前でしたから、もう6時間以上経っていました。でも、ふたりといろんなおしゃべりしたおかげで気が紛れ、さらに運命共同体的な連帯感が生まれました。ようやく到着したフィレンツェ・カンポ・ディ・マルテではスーツケースを運ぶのを手伝ってもらい、1台しかなかったタクシーを譲ってもらいました。ホテルまで歩くと言ってひとけのない街に消えて行ったブランドンとローレン、もう二度と会うことはないという万感の思いを胸にタクシーの窓を開けて手を振りました。このふたりのことは一生忘れません。
ホテルにチェックインしたのは午前2時ごろ。深夜シフトのおにいちゃんがキッチンから牛乳とビスケットを探し出してくれました。お腹すき過ぎて何だかわかんない状態でしたが、牛乳は美味しかった。
翌朝は8時半にドゥオーモのてっぺんまで昇るツアーの予約をしてありました。午前中に最後のドゥオーモを満喫して、お昼過ぎに帰国の途につく予定だったんです。キャンセルしようかと迷っていましたが、ローレンが「ダメよ、行かなくちゃ」と言ってくれて腹を括りました。睡眠3時間ぐらいでドゥオーモの500段ぐらいある石段をてくてく登り、よせばいいのに隣の鐘楼400段強まで登ったんです。
イタリア人キッズの猛攻からのローマ、からの~ドゥオーモの1000段近い石段責め、日本への20時間の旅、からの~羽田から御殿場までのバスの旅、からの~翌朝の平常出勤。何事もなかったかのように職場のパソコンの前に座った月曜の朝、完全にわけがわからなくなっていました。
ローマなんか、行きたくなかった。でも、きっと神様の「せっかくイタリア来たんだからローマの空気ぐらい吸ってってよ」という思し召しだったのだ。そう思うことにします。
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