Jimmy Scott さんのこと






6月12日。
ジャズ・シンガー、Jimmy Scottさんの一周忌でした。
新しい家への引越しでとてもあわただしい日だったので、心静かに彼のことを考えられるまでお祈りは待つことにしていました。

来日されたScottさんが新作CD"Mood Indigo"について取材を受けられたときに通訳を務めました。
いつのことだったか、はっきりした記録していないのですが、中野サンプラザでのコンサートもあったときなので、たぶん2000年だったのだろうと思います。

当時すでにご高齢で、少し足腰が弱っている感じでした。人気ドラマ「ツイン・ピークス」の奇妙な最終回、あの赤いビロードの世界をさらに奇妙に仕立てていたのが、彼の歌でした。(不思議な「小さい男」が踊りながら登場するシーンです。)監督のDavid Lynchは「ソウルフルでは形容できないほどソウルフル」と表現したそうですが、Scottさんは命をふりしぼって、全身全霊で歌っていました。そうでなければ歌う意味はない、そんなことをおっしゃっていたと思います。

Scottさんはカルマン症候群という成長ホルモンに異常をきたす難病によって、体格はとても小柄で華奢な上に女性のような声をしていました。男性の高い声というより、女性のアルトみたいな感じでした。そんな中性的な声が、失った恋だの、恋人の裏切りだの、そうした嘆きの恋の歌を切々と歌い上げるのにはぴったりだったのです。繰り返しカバーされてきた昔からのスタンダードであろうと、Cindy Lauperの曲のような比較的新しい素材であろうと、完全に彼のものになっていました。その独自性と歌世界を創り上げる類まれな創造性に満ちていました。人生と音楽に対して誠実で真摯で、そういう生きかたが歌にほとばしり出ているのです。Marvin Gaye や Prince なども彼の歌に影響を受けたと語っています。

彼は23歳でLionel Hampton のバンドの歌手となり、ツアーでは Quincy Jonesと同室で、終生親友付き合いだったそうです。Little Jimmyと呼ばれて人気もあったのに、たしかお母様だったと思いますが、病気の家族の看病のためにあっさりキャリアを捨て、その後、何十年間も田舎暮らしでした。再び脚光を浴びるようになったのは60代になってから。驚くべき半生です。

小室等さんが彼の歌に惚れ込み、ぜひ会いたいということから、雑誌用に対談が行われました。
あの場に立ち合わせていただけたのは、とても貴重な体験だったと思います。
印象的だったのは、Scottさんがlifeという言葉をとても意味深く使って語られていたところでした。
通訳としてそれをどう伝えるか、それはもう重い責任を感じた瞬間でした。しかし、迷うわけにはいかなかったので、即座に「人生を……」と訳したあと「しかしlifeは命という意味でもありますので」と小声で付け加えました。小室さんは「わかります」と言って深くうなずいておられました。
対談が終わるころにはScottさんの誠実な生きかたに触れた小室さんがボロボロ涙を流され、あやうくもらい泣きしそうになりました。

Scottさんのそばにいたのは3日間ほどだったと思いますが、そのあと中野サンプラザに招待してもらって、彼のコンサートを堪能しました。
Elton Johnの"Sorry Seems To Be The Hardest Word"が圧巻でした。泣けてくる歌でした。
本当に魂とか命とか、そういうところから絞り出される歌でした。わたしだけでなく、観客の多くが涙を流していたと記憶しています。

そのあとで楽屋を訪れて、ご招待の御礼とお別れの挨拶をさせていただきました。
数日間一緒だったし、親子ほども年が離れているせいもあって、わたしのことを Sweetie と呼んでくださっていました。

"Listen, Sweetie. You know, I'm leaving for home very soon. These flowers aren't any good to me. You should take them."

それはコンサートの最後に舞台に上がった女性(ファンではなくプロモーター側の仕込みの人)からプレゼントされた豪華な花束でした。
Scottさんのお申し出は本当に嬉しくて、思わず失礼ながらハグして御礼を申し上げたのですが、そのとき楽屋には大勢の人がいて、しかも華やかな感じの若い女性も多く、花束と彼とを囲んでいました。
その真ん中に置かれたお祝いの花束を、わたしのような者が唐突に頂戴して帰るわけにはいかない雰囲気があったんです。それで丁重にお断りしました。

"Honey, sweetie, I want you to have them. Go, take them. Take them, OK?"

固辞するわたしの手を握り、眉間にしわを寄せて「いいから持っておいき」と繰り返しておっしゃってくださった、あの声の優しさは忘れられません。あの I want you to have them. は今もはっきり耳に残っています。
しかし、空気が読めないというか、読みすぎたというか、愚かなわたしはとうとう花束をいただかずに帰りました。

Scottさんの訃報を知って真っ先に思い出したのは、あのとき楽屋で花束を持っていけとおっしゃった彼の言葉と、握ってくださった手の温かさです。それは鮮烈にわたしの心に刻まれ、これからも消えることはありません。

あのとき花束をいただいて帰らなかったことを、それからしばらく、そして今もなお、とても後悔しています。



玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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