続々 めんどくさい女


Hさんちの葬式の時に訪れた三鷹のお寺。太宰治や森鴎外のお墓がありました。



Hさんとは根津神社のつつじ祭りにも行きました。思い出は思い出。



こういう人たちの「続々登場」は本当に困ります。もう勘弁してください。

恩人Hさんから電話がありました。T大で仕事をしていた20代のときの上司で、生化学で博士号をお持ちの才女です。映画業界で仕事をするようになってからもずっとお付き合いがあり、ときどきご自宅にもお伺いしたこともありました。すごく良い仕事をされてきた頭の良い方ですし、お世話になったのは確かなので尊敬してきました。一応。何十年間も。

Hさんは何年も前にご両親を亡くされていて、どちらのお葬式のときにも参列したりお手伝いしたりしてきましたが、今回の母の訃報は東京で遠いということもありお知らせせずにいました。それで喪中ハガキをご覧になって初めて知り、心配して電話してきてくださったのでした。

「亡くなって10日ぐらいすると寂しくなってくるものだからねえ」
とおっしゃいましたが、私の気持ちはそんなふうには動いていません。だから、「大丈夫です」と答えました。
事実、母が亡くなったからといって、すごく寂しいというようには感じていません。
悲しいのは確かだけれど、寂しいわけではありません。

それから、母が亡くなるまでの顛末を手短かに報告しました。Hさんは「うん、うん」とうなずきながら聞いていてくださったのですが、緩和医療科の先生にお願いしたくだりになると急に勢いづいて、「緩和は知ってる先生がいるといないでは全然違うわよね」と言い出しました。HさんはT大時代から医学部や医者たちと親しくて、医療ネタが得意なのです。

それからひとしきり、共通の知人Sさんがやはりガンで亡くなったときの話をされました。Sさんの奥さんに緩和医療専門医を紹介したときのことや、Sさんの奥さんがずっと泊まりがけで看病できたほどの広い部屋を手配できたときのことなどを得意げに話されました。そのあたりまでは我慢しながら聞いてました。

「結局、母は私を早めに解放してくれたような気がします」

私はそう言いました。実際、こちらに引っ越してからというもの、仕事でも何をしていても、夕方にはあわてて帰宅して夕食の支度をしなくてはいけなくて、実家に対する呪縛のようなものを感じる日々でした。
そのために東京の生活を引き払ってこちらに引っ越したのだから当然なのですが。夏に母が施設に入居してからも何かあるとすぐ電話がかかってくるので、終日東京など御殿場を離れなくてはならないときにはつねに不安を感じながら、でした。ところが、この言葉が引き金となり、Hさんは電話の向こうで熱弁をふるいだしました。

Hさんはお母様が亡くなるまで自宅で面倒を見続けていらしたので、出かけられない苦しさは私の比ではなかったということを強調されました。さらにうちの母を施設に任せなくてはならなくなった経緯についても、便失禁の回数が増えたことがきっかけだったと説明すると、「あら変だわね、今のオムツって優れてるじゃない?」と自分の母親にはそういう失敗はなかったことを自慢げに話されました。

そりゃあ、優れたオムツはあるでしょうよ。でも、お宅のお母様とうちの母の介護の度合いは違います。
人はそれぞれ違うし、家庭の事情もそれぞれ違う。
あなたはそりゃ優れた手腕でお母様の面倒を完璧に見られたのでしょうけど、それを今自慢されて私には何のメリットもありません。
しかも今さら高齢者用のオムツの種類について論じられたところで、私には時間の無駄です。
ご心配には感謝しますが、それならいっそ放っておいてもらえませんか。

というようなことを言いたくなったけれど、さすがに尊敬する元上司のHさんにはそこまで言えず。
それでも「もうお話ししたくないので」とはっきり言って電話を切りました。

あれですかね。どんなに頭の良い人でもKYになるっいう、つまりは老化現象?




玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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