Her Town, Too


ご先祖様が残してくれた広い庭も、思えば子孫であるわたしの幸せを願ってこそ。



東京の暮らしに戻りたいと思っているわけではありません。



田舎の暮らしは車での移動に依存しているので、おのずと車内で過ごす時間が長くなります。
わたしはたいていFM Yokohamaを聴いています。センスの良い笑いを提供してくれる番組もあるし、選曲センスの良い番組もあるし、交通情報が東京と神奈川県からこのあたりまで、生活圏をちょうどよくカバーしてくれるからです。今朝、そのラジオからJames Taylor の"Her Town, Too"という曲が流れてきました。
昔の曲で、ずっと忘れていました。でも、その冒頭の歌詞が今の自分の状況と重なっていてドキリとしました。

https://www.youtube.com/watch?v=CQR1In6lGCg

She's afraid of knock on the door.
There's always a shade of a doubt.
She can never be sure.
Who comes to call?
Maybe the friend of a friend of a friend, anyone at all.
Anything but nothing again.

実は、昨年夏の父の事件以来、心療内科にかかっています。
オープンにそう告白するのは、周囲に理解してもらうためです。
心の病はタブーではなく、そういう病気なので治療していることを恥じてはいないというスタンスを明らかにして、「風邪なのでマスクしてるの」とまったく同様にまわりの人たちに理解してもらうためです。
薬も処方してもらっていますが、有酸素運動も良い効果があって、実はエアロバイクを購入して毎日5分の全力疾走を続けています。

最初は父の姿を見るだけでも震えがくるほどでしたが、母の病気が深刻化するにつれて父と接触を持たないわけにはいかず、それは多少は克服しました。
でも、実を言うと、今でも夜が怖いんです。あたりが暗くなるとわけもなく怖い。
人に羨ましがられるほどの素敵な家があり、広い庭がある。それはそうなんですが、それが怖い。
広い庭が怖いんです。ブラインドを閉め切ってしまえばいいと思うかもしれませんが、外の様子がまったくわからないというのも怖い。
夜に訪問者があるたび、ピンポーンと鳴るたび、飛び上がってしまいます。
ピンポーンと鳴らさずに現れる訪問者なんてあろうものなら悲鳴です。
(インタホンがあるのに、田舎の人は無視することがよくあります。)

この曲のストーリーは少し事情が違っていて、田舎で恋人と別れて噂になり、孤立してしまった女性を客観的な立場から慰める(おそらくは)男性の友人の視線から歌っているようです。
(でも、She gets the house and the garden. He gets boys in the band. というところはわたしの状況とちょっと同じかも。そういうボーイフレンドがいたものな〜。)
しかし、闇が心の中にまで忍び込んできて、ざわざわした気持ちになって、誰か来たら嫌だなと思いながら暮らす感じにはすごく共感できます。
これはなかなか人にはわかってもらえません。弟さえ理解できないようでした。何度も説明し、最近はやっとわかったようですが。

先日テレビで矢野顕子さんとティンパンアレイの面々が何十年かぶりに共演したステージの放送がありました。
それを見ていたら、彼らが活躍していた時代、六本木の夜を駆け回って(文字どおり)いた頃の気持ちが少し蘇ってきました。心の病とは無縁だった、「できないことはない」とさえ思えた頃。
矢野さんがインタビューでニューヨークを生活の場にしているのは、「新しいことに挑まずにはいられなくするような、そういうcreationを駆り立てる空気がある街だから」というようなことを説明されていました。
すごくよく理解できました。わたしにとって、39年間暮らした東京の街にもそういう意味がありました。

東京で暮らしていた頃のそういう心持ちを失うことないまま、あの頃と同じ心持ちのまま、御殿場のこの家で健やかに幸せに暮らすこと。
それが今のわたしの課題です。


玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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