ドラマのロケ地になったがんセンター。東京都立多摩はウソで、本当は静岡県立静岡です。
故ジョージ・デューク。お会いできたのもフリー時代のキャリアが充実していたからこそ。
今はここでの穏やかな暮らしに満足してます。
あっという間に新緑が美しい季節になりました。いわゆるゴールデンウィークなわけですが、どこにも出かけず、まったりゆったりと休日を楽しんでいます。
この春から、静岡がんセンターでの仕事に今まで以上に本腰を入れることにしました。約300人の医師、約600人の看護師、それから技師、薬剤師、事務系の仕事をする人たち。こうした人たちのほとんどが英語はあまり得意ではないという状況の中に身を置いて、依頼される仕事は増えるばかりでした。それは良いことだと思います。特に医師や看護師といった職業の方々が海外とやりとりをして、新しい治療法や考え方を吸収されることによって患者さんが得るメリットは大きいからです。難解で長い論文を任されると「う〜ん」となるのですが、格闘しているうちにわかってきたりします。「こういうことですか?」と訂正した英文に、「あ〜、そうそう、こういうことを言いたかったんですよ!」と言ってもらえるのは大きな喜びになっています。
今まで本当にいろんな仕事をしてきました。
特にフリーの通訳/翻訳家となってからは、映画、音楽、デザイン、機械工業、観光など、いろんな分野のお仕事をさせてもらいました。その中で何がいちばんの喜びになってきたか思い返すと、やはりコツコツと文章に向き合う翻訳の仕事でした。たぶん、ひとりで黙々と何かを仕上げていくことが好きな性分なんだと思います。これまでも2年強もかけて一冊を翻訳するなんて仕事もありましたが、大物に取り組んでいる最中の日々には、その時間には、重圧だけでなく何とも言えない充実感がありました。長い時間をかけて大きな絨毯を織るペルシア女性の映像を見たことがありますが、そういう仕事の仕方と似ています。
今は先生方から大きな論文の校閲を任されたり、看護師さんから資料用の翻訳を頼まれたりすると、同じような充実感と喜びを覚えながら取り組んでいます。それで食べていけるだけの安定した報酬をいただけるのなら、もう、それ以上を望もうとは思わなくなりました。いつのまにか、いわゆる上昇志向とか野心とか、そういうものはすっかり手放してしまったようです。
それは御殿場という場所で暮らしていることと関係があります。ここではシンプル・ライフこそが最良の選択なのであって、それを複雑にする何かをプラスしようとしても無理があることがわかりました。例えば、フリーで医療通訳の仕事ができるかという可能性。仲間を集めて会社組織のようなものにして、静岡県東部に限らず、神奈川県や東京都を舞台に仕事を依頼を受けてスタッフを派遣する、ということができないかと考えたこともあります。しかし‥‥。
「ボランティアでお願いできませんか?」
どうして無料奉仕を求められるのか。患者になる側にも、病院側にも、通訳に報酬を払う用意がないからです。
報酬を払う用意がない、予算がない、金銭的余裕がない。そこは経済活動を展開させる「畑」にはなり得ません。
そういうことがよくわかった今、せっかく勉強したことを最大限活かせるのが、がんセンターでの業務だと悟ったのでした。やってることに喜びがあって、しかも人の役に立ったと実感できて、それをやって食べていける。現状では、今やっていることがその実現のベストの形だと思います。
このことについては、またいずれ、もっと深く触れたいと思います。
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