グレースの履歴

NHK BSPで「グレースの履歴」というドラマが放送されています。4月9日の放送は第4話。宇崎竜童さん扮する仁科という初老のメカニックが主人公のHONDA S800の修理をし、グレースと名付けられたこの車の稀有な過去が明らかになるという重要なエピソードでした。


わたしはHONDAの車が好きです。HONDAの車以外を所有したことはありません。このドラマで、さらには第4話で語られることが痛いほどよくわかり、共感の嵐。


車に詳しいわけではないけれど、80年代の昔、HONDA F1にハマり1964年にF1に初参戦したHONDAチームの苦難の歴史を学びました。中村良夫さんという当時チームを率いていた技術者が書かれた本をたくさん読み漁ったものです。ドラマに登場した仁科はこの中村さんにオーバーラップして見えました。本では東洋の島国のオートバイ・メイカーが四輪の自動車を生産していくに当たり、いきなりF1のレーシングカーを作るところから技術者たちが苦労して学んでいき、それが量産車へつながるというHONDAのユニークな歴史が綴られていました。


トヨタや日産など他の日本の自動車会社は外国のメーカーと提携するところからスタートしたのですが、HONDAだけは違った。マン島のレースで優勝し、バイクで頂点を極めたから今度はF1という無謀な道を歩むことに。外国のメーカーとの提携話は不利な条件を提示されたために、きっぱり拒否。


「HONDAはHONDAの道を行く」

本田宗一郎さん以下、中村さんたちはそう言い切った。この潔さこそ、もっとも惚れたところです。だからHONDAを応援し続けようと決めました。


もちろん青山のショールームには数え切れないほど行きましたし、栃木のミュージアムも訪れたことがあります。これはいつぞや東京駅に展示されていたNSX。惚れ惚れする美しさでした。周りをぐるぐる回ってずうっと眺めていました。

仁科というメカニックはかつてHONDAのバイク・チーム専属で世界中を転戦したという経歴の持ち主でした。60年代のレースの「世界」とはヨーロッパのことです。そしてアメリカ。大西洋を囲む両陣営、これが「世界」であり、日本なんて地の果ての小国に過ぎません。その小国のバイク・メーカーが何の経験もなくF1に参戦するなんて、どれほど勇気のいることだったか。仁科の歩んだ道は、かつて読んだ中村さんの本に書かれていたことを彷彿とさせました。


ドラマの今後の展開、楽しみです。

これは今乗っているインサイト。ふだんは大人っぽい静かな車ですが、その気になれば結構アグレッシブ(そんなこと滅多にしません)な走りもできます。昨年ついに生産終了となりました。


マニュアル車を乗りこなせる腕もお金もないのでS800は絶対に無理ですが、やっぱりHONDAの車の魅力はスポーツカー。商売だからワンボックスへのシフトも仕方ないでしょうけど、庶民にも手が出る夢のあるスポーツ・タイプの車は作り続けてもらいたいです。よく「HONDAのDNA」と表現されますが、上記のようなユニークな道を歩んできたHONDAだからこそ、その血筋を絶やさずにいてもらいたいものです。


初めてのHONDA。中古の初代プレリュードですが、故障が多くて苦労しました。でも大好きでした。サンルーフが標準装備なんて素敵すぎる。


次に所有したのがやっぱり中古で買ったシビック。コンパクトできびきびとよく走りました。ところで、これはどこだったんだろう。


そして初めて新車で買ったのがインテグラ。これはちょっとしたスポーツカーで、大好きでした。かなりの走行距離の果てに手放したのですが、そのとき廃車となったので、まさにわたしだけの車でした。形見にボンネットから剥がしたHのエンブレムをもらいました。ささやかな宝物です。


その後は頑張って新車を買うようになりました。これはインテグラにさよならして前のインサイトを迎えたとき。インテグラには未練ありましたが、やっぱりガソリン消費の少ないハイブリッドにすべきと判断。次はEVになるのかなあ。

玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

0コメント

  • 1000 / 1000