富士山の麓のこの町では、7月23日から26日の朝までがお盆です。そのあたりらしいということは知っていましたが、恥ずかしながら、きちんとこの時期だと認識したのは母が亡くなってから。東京で暮らしている間も「お盆だから帰省する」という感覚も習慣もないまま数十年を過ごしてしまいました。東京にいると感じなかったけれど、昔からのやり方に則った生活カレンダーで生きることこそ、実は日本人のアイデンティティーじゃないかと、最近は思うようになりました。
ちなみに、この写真は帰省するはずだった実家、ではなく京都の瑠璃光院です。
今年は父の新盆でした。うちは旧家なので、おそらく異例のことでしょうが、東京在住の弟がお寺と話をつけて、法要は無しということになりました。以前から私も弟もお寺の強欲で徳を感じられないやり方に腹を据えかねていたので、まあ、いいかとは思いましたが、なんか後ろめたい。日本人ってお盆になると突然、熱心な仏教徒みたいになるんですよね。クリスマスに騒ぎ、お願いは神社へ行くくせして、摩訶不思議。
位牌を母家から私の家へ移し、ささやかな祭壇を作って、お盆の間は朝晩、精一杯のご馳走を並べました。本当にささやかだけど、果物や花も飾りました。迎え火も送り火もそっと焚きました。お茶出したり、当地ならではの風習で25日の朝には茶めしのおにぎりとお金の包みを供えて、「神田明神へ遊びに行く」精霊の皆さんを見送った(?)りもしました。
きらびやかな法衣の住職にお経あげてもらうのにお金かけるより、「これ、美味いで」と生前と同じように夕食出したりした時間を過ごすことで、よりintimateなお盆になったんじゃないかと思ってます。
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