ゆずれない部分

富士山の麓で暮らすようになってから、はっとするほど美しい夕景に出会うたび、写真を撮っています。(実は、東京の住まいからもそういう写真を撮っていましたが。)先日も見事でした。


写真撮る。インスタなどにアップする。友人が見て、いいねしてくれたり、コメントしてくれたりする。それで完結するかと思いきや。

アメリカ人の友人の中に、富士山をモチーフにしたアート作品や外国人写真家の作品などをメッセージで送ってくれたり、推薦したりしてくれる人が何人かいました。だけど、ポップアートになった富士山は好きになれないし、わざとらしく五重塔と桜と富士山を組み合わせた構図の絵葉書的ショットも好きになれません。


友人たちがそれらをわたしに見せようとするのは好意からだし、ありがたいのですが、単純に「あんた、こういうの好きでしょ?」と思うのはおかしい。わたしはわたしの見る富士山が好きです。北斎は好きですけど、北斎をパロディにした作品は好きになれません。それを説明しようとしたけれど、彼らが納得できる論理的説明はありません。


わたしはわたしの「好き」に正直でありたい。そこはゆずれません。ゆずってはならないと思っています。

玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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