京都に大好きな商店街があります。出町柳近くの桝形(ますがた)商店街です。
観光客にも人気の錦小路に比べたら小さくて、すぐに通り抜けてしまうアーケードの商店街ですが、この狭さに充満する生活感にほっとするというか、なんとも名状しがたい安心感があるのです。その安心感の正体はなんだろうと思い、心のうちを探りましたが、なかなか答が見つかりませんでした。
昨日、テレビの情報番組で東京の板橋区、東上線の大山駅の近くに広がるハッピーロード商店街に消滅の危機があることを知りました。板橋区に10年住みましたが、大山はそんなに近くなかったので、ハッピーロードで買い物をしたのは2、3回に過ぎません。でも、賑やかで活気があって、行き交う主婦らしきおばちゃん、それより若干ご高齢の皆さま、地元の高校生、みんな元気そうだったと強く印象に残っています。だいたい、日本全国こうした商店街にはそういう活気がみなぎっているのです。スーパーマーケットはちょっと違う。スーパーでは、整列した圧倒的な物の波に抑え込まれて、発散される人の熱気はありません。
見よ、この果物屋さんに溢れる熱量を!スーパーの果物コーナーの前に立った時にはあり得ない「何もかも美味しそう」「なんか買いたい」の嵐が襲って来て、固く握りしめられた財布でさえ、もろくも口を開いてしまいます。大山のハッピーロードにも、そういうお店がいっぱいありました。浅草にもあるな。吉祥寺や中野にもあったな。学生時代を過ごした旧東海道沿いの北品川にも。あと、ちょっと元気がなくなりかけてて心配だけど、台東区の鳥越。あそこの商店街もすごく良かった。
京都で今「新しい道路作って、高層ビル建てて小綺麗な街にしたいから、商店街潰すで〜」なんて言ったら、おそらく100%の住民が猛反対してそんな企ては消えるんじゃないかと思います。
東京は割とその辺がクール、あるいは良くも悪くも多様。大山のハッピーロードの場合、現状では賛否は半々なのだそうです。商店街がなくなったら困る人々はそりゃ多い。テレビカメラの前ではみんな口々に「絶対反対」って言ってました。
しかし、その実、カメラが届かなかったところで賛成している人々も同じくらいの割合でおいでになるのです。広い新しい道路が作られて、渋滞が緩和されたり、災害時に火災の延焼が防がれたり、緊急車両が通行しやすかったり、いろんなメリットが予見されています。タワーマンションができたら、子育て世代の人口増加も期待できるし。東京はそういう変化を受け入れて発展してきた街です。そういう点では、日本のどんな都市よりも柔軟(あるいは犠牲になる住民の肉声がかき消されやすい)土地柄なのかもしれません。
だけど、できることなら、商店街はそのままにしてもらいたいなあ。日本人はそのうち、どこの町でもきれいに整った都会的なショッピングモールで買い物するようになってしまうのかなあ。
いいじゃないですか、多少ごちゃごちゃしてても、そこに集まってくる人々が元気になるなら。
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