ソフィー

10月半ば、ソフィー・ミルマンのショーを見るためにブルーノート東京へ行きました。

ジャズ・シンガー、ソフィー・ミルマンの活躍はわたしにとって特別な意味があります。ブルーノートで聴いた彼女の歌は以前に増して充実していて、人間的な成長が音楽に美しく表れていました。素晴らしいショーでした。

彼女と初めて会ったとき、まだ20代前半の若さでした。その年齢にもかかわらず、成熟した大人のジャズを歌うので、「おじさん世代」のジャズ評論家やファンやジャーナリストたちから大きな注目を浴びていました。カナダ出身ということで、同じように美貌と才能で人気が高いダイアナ・クラールと比べられたり、引き合いに出されたり。そんなふうに注目を浴びた彼女には多くの取材申し込みがあり、わたしはそのほとんどにお付き合いするという光栄な仕事をいただいたのですが。



ソフィーはロシアで生まれ、幼少時代は小さな町で幸せに暮らしていたものの、ソビエト連邦崩壊の折にユダヤ人の両親は共和制となる国に自分たちの将来の安定を見い出せず、イスラエルに移ることを決意。彼女は7歳で環境の激変を経験し、家族とともに大変な辛酸を舐めました。やがて弟が生まれ、生計も安定しはじめるものの、自爆テロが頻発したりと政情不安は深まるばかり。両親が再びカナダへの移民を決意して、ソフィーもようやく安心してふつうの女の子らしく生きることができるようになったのだそうです。しかし、幼い頃から苦労したせいか、彼女は初対面の相手の人間性を鋭く見抜き、どのくらい真摯か、信用できるかをつねに推し量っているのです。美しい澄んだ大きな瞳でじっと相手を見ながら、慎重に言葉を繰り出す様子に、初日からそばにいるわたしも少なからず緊張したものでした。

「あなたは信用できる」

けれども何かの折に、彼女からそう言われて安堵しました。(ただし、その言葉に甘えてはいけないのです。)ソフィーは信用して心を許した相手には、とことん心を開いてくれるのです。そういうところは、ほかのアーティストと少し違っています。表面は友好的で人なつっこい顔を見せても、次に会う機会があるかどうかもわからない相手と思っているのか、どれほど近くで仕事をしていても、目に見えない壁を作る人がほとんど。別段、そういった壁があっても支障はないし、幸運にも次にまた会えたら再び友好的にしてくれるし、それで「良い出会いでした」と言い切ることができるわけですが、ソフィーは違う。彼女は心を開いて、全幅の信頼を寄せてくれます。だから、それに応えたい、彼女の重荷や苦労を少しでも軽くできるなら何でもしたい、自然にそんなふうに思うようになるのです。そういうふうに人間関係を構築するので、律儀な日本人とはウマが合い、こちらが想像する以上に日本を愛し、細かいところまで良く見ています。若い女性ならではの興味や関心を抱くと同時に、世代を超越した本質をきちんと抑えていました。



お客さんの前で最高のパフォーマンスをするために喉をいたわり、ハチミツをお湯で溶かしたものをひっきりなしに飲むソフィー。取材でたくさん話をすると喉に負担がかかり、その日の夜に予定されていたステージを案じるあまり、日常会話が筆談になったこともありました。そういうところはとてもストイックで、「話さない」と決めたら徹頭徹尾メモによる意志表現しかしない。だから、そういうときは敢えてひとりにしてあげるよう気をつかいました。

ジャズという表現方法が好きで、ジャズにこだわる。それはそれで素晴らしいことなのだけれど、同世代の支持がもっと欲しいのではないだろうか。20代ならではの素材を歌わないのかという問いに、今後はどう応じていくのか。
ビッグ・ネームになっていく彼女の成長は楽しみですが、この先、世の中の移り変わりとともに壁にぶつかることもあるのではないかと心配になったりしています。どうも、ソフィーのこととなると「親心」的に余計な心配をしてしまうようです。ソフィーのことだから、どんな大きな壁が立ちはだかっても、きっと乗り越えていくだろうと信じていますが。

(モントリオールでのソフィーのステージ。動画をアップできなかったので、YouTubeでご覧ください。)

久しぶりに会ったソフィーともっといろいろ話をしたかったのだけれど、実は3月11日の震災は東京にいても未だに精神的な傷となっていることを説明することもなく(ソフィーはそのことをとても案じてくれていたのですが)、いざ面と向かうと胸にいろんな想いがこみ上げてしまい、「留守の間、ペットの犬はどうするか」などという話で終わってしまいました。忙しいでしょうけれど、それから、そろそろベビーも欲しいでしょうけれど、必ずまた日本に来てね、ソフィー。




玲子のカルペディエム

カルペディエム Carpe Diemは「今を生きよ」という意味のラテン語です。毎年、誕生日に外国のお友だちがこの言葉を贈ってくれて気にいりました。今は富士山の麓でミニチュアダックスのみんみんと暮らしていますが、40年ほど暮らした東京からのいわゆるUターン組です。通訳や翻訳(英語)を生業とし、今は地元のがん専門病院で医療スタッフの英語のお手伝いをしてます。ジャズ、ブラジル音楽、歌舞伎が好きです。

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